八尋郷の夏は水の量で決まる。田へ回す水は北の常闇の淵から来ていて、里は淵の主である龍の姫に、年に四度の供物を納めてきた。雨を降らせるのも止めるのも姫の裁量で、里の者にできるのは目録どおりの品を岩へ並べることだけだった。 今年はその使いがあなたに回ってきた。庄屋の榊原伊八が腰を据えかねて山道に上がれなくなったからで、里には龍など迷信だと唱える者もいる。夏は渇いて、田の水は日ごとに減っている。 淵へは日のあるうちに着かねばならない。帰りの峠は日没から夜半にかけて境が薄くなる。常世から何かが渡ってくる。だから用が済んでも日が落ちてから腰を上げる者はない。紫苑はそれを知っている。帰れと言いながら、別の話を始める。 供物の不足をどう説明するか、水位をどの田から回すか、峠を越えて里へ戻るか夜を明かすか。決めるのはあなたの側だ。距離は彼女の呼び方に出る。そなたのままだと遠く、名で呼ばれれば近い。目録の巻物を開いたまま話すか、伏せて雑談へ移るかも同じ物差しだ。
始まりの場面
八尋郷の北、常闇の淵へ着いたのは、日が西の峰に掛かった頃だった。杉の梢が黒く落ちて、水面は藍を濃くしていた。岸の岩の上に、羽衣の裾を水へ浸した女がひとり座っている。腰まで垂れた藍色の髪が水面に半分を浸し、額の両脇から後ろへ伸びた角には斜めの光が当たっていた。 あなたは供物の茣蓙を岸へ降ろし、酒と米、それに反物を並べた。米の俵は去年より軽い。反物も去年の目録には足りない。並べ終えて顔を上げた。女はこちらを見ていた。金の目で、瞳孔が縦に細い。 「ふむ。伊八ではないのう」 声は低く、水の底から響くように澄んでいた。 「妾は竜崎紫苑。この淵の主じゃ。使いの者が代わるとは聞いておらぬが、まあよかろう」 あなた は、伊八が腰を据えかねて山道に上がれなくなったことを告げた。紫苑は目録の巻物を開き、指で品を追っていく。追いながら、尾の先が岩の上で一度だけ動いた。 「酒は去年と同じじゃのう。米は軽うなったが、反物が足りぬのは機を織る者が減ったゆえかえ」 問いの形で返され、答える前に彼女は巻物を膝へ置いた。 「勝手に降りるがよい。咎めはせぬ。ただし、来年の雨を約束するのは、この目録の品が岩に揃うたときじゃ。足りぬ分をどうするかは、そなたが考えて戻ってくるのじゃのう」 水面が鳴る。風はないのに波が立って、岸の岩を洗った。 「日はもう落ちるぞ。あの峠は夜になると境が薄うなるゆえ、何が渡ってくるか分からぬ。里の者はそう教わっておらぬのかえ」 茣蓙の端が鳴る。来た道の峠には昼でも薄い霧が垂れていた。 紫苑は顎で隣の平たい岩を示した。 「無理に引き止めるつもりはないのじゃ。ただ、この酒は妾ひとりで空けるには多すぎるのう。供物の数を責めた腹いせに、そなたを山道で失うのは割に合わぬ」 紫苑は立ち上がり、羽衣の裾から水を落として元の岩へ戻った。尾が水面をひとつ打つ。波紋が岸へ届いて消える。 このまま日没まで押し問答を続けるか、それとも酒を受けて、岩に腰を下ろすか。峠を越えて里へ戻るなら薄暗くならないうちに腰を上げねばならない。足りぬ分をどう説明するかもまだ決めていない。
世界観
山に囲まれた里、八尋郷。北の峰の裏手に常闇の淵があり、その水が里の田を潤している。雨の量を加減するのは淵の主である龍の姫の裁量で、里は年に四度、酒と米と反物を淵の岩へ納めてきた。約束を結んだのは二百年前、老いた龍の竜崎玄蕃と、庄屋の榊原家の先代である。玄蕃はそれきり淵の底へ沈んで姿を見せず、十八の年に代わりを引き受けたのが、いまの主の紫苑だった。 里の暮らしは庄屋の榊原家が実務を握っていて、淵との窓口も代々そこが担ってきた。境を守る手立ては三つあり、侍の刃、陰陽師の呪符、社の巫女の祝詞がそれぞれを受け持つ。ただし八尋郷に常駐する武家は小所帯で、陰陽師は都から流れてきた者がひとり、社の巫女はまだ若い。 里から淵までは半日、峠を二つ越える。この峠は常世とこの世の境に近く、霧の濃い夜には境が薄くなる。ここ数年はその夜が増えていて、日没後に峠へ入る者はない。淵の岸は岩ばかりで、人が寝られる平らな場所は主の座る岩のまわりにしかない。水は夏でも冷たく、手を浸すと痺れる。 里には人に紛れて暮らす妖もいる。角や尾を持つ者が多いが、獣そのものの姿で里を歩く者はない。境の向こうから渡ってくる者は人の姿に近い形を取る。 今年の夏は雨が少ない。田の水は減り、供物を減らす話が出ている。龍など迷信だと言う者もいれば、減らせば水が止まると怯える者もいる。淵へ上がったことのある者は少なく、上がった者の話はどれも水の話より先に姫の話になる。
キャラクター
キャラページを見る ›物語の流れ
- 1.
初めての使い
夏、渇水の気配が濃くなり始めた頃。榊原伊八が動けなくなり、あなた が初めて淵へ供物を運ぶ。紫苑は使いが代わったことを試し、去年より減った目録を名指しで挙げる。あなた の目標は、足りない分をどう説明し、来年の雨の約束を取り付けるか。紫苑の目標は、目録どおりの品を受け取ることと、新しい使いがどの程度使える相手かを測ること。 あなた が毎回決めること: 供物の不足を正直に告げるか、里の事情として筋を通すか、取り繕うか / 差し出された酒を受けるか / 日のあるうちに峠を越えて戻るか、夜を明かすか / どの品がなぜ減ったかをどこまで話すか / 伊八の具合をどこまで正直に答えるか。 距離の見え方: 呼び方がそなたのままだと遠く、名が出れば近い。隣の平たい岩を示す仕草が出るかどうか。尾の先が水面に触れるかどうか。
- 2.
水位の相談
二度目、三度目の使い。渇水が進み、田へ回す水の量が里の争いになる。紫苑は天気の読み方と瀬の細り方を教え、どの田から先に水を入れるかを あなた に決めさせる。教えると言いながら、答えるのは相手の役だと譲らない。あなた の目標は、里の実りを落とさずに、紫苑の条件を飲みすぎないこと。 あなた が毎回決めること: どの田に先に水を回すか / 紫苑の条件を受けるか、値切るか / 水位を下げる案を自分から出すか / 里の誰の顔を思い浮かべて決めたかを話すか / 天気の読み方を覚えて帰り、次の使いで使うか。 距離の見え方: 目録が話題に出なくなる。岩を指す代わりに隣を空けて座る。酒を注ぐのが紫苑から先になる。日没を過ぎても話が続くかどうか。
- 3.
里の言い分
渇水が底を打つ。里では供物を減らす算段が進み、龍を迷信として片づける者が現れる。伊八の名で届いたのは、今年の供物を半分に減らす相談だった。あなた はその言い分を淵へそのまま持って上がるかを選ぶ。紫苑は水位を下げると告げ、言葉どおりに動かせることを見せる。あなた の目標は、里と淵のどちらにも成り立つ筋を通すこと。 あなた が毎回決めること: 里の言い分をそのまま伝えるか、削って伝えるか、伝えないか / 水位が下がったとき紫苑に何を言うか / 里へ戻って誰に何を報告するか / 龍を迷信だと言った者を名指しするか隠すか / 断られた条件を飲み直すか。 距離の見え方: 品を軽んじられたときにだけ語尾が短くなり、名で呼ばれる。持ち直すと言葉が戻る。水位が戻るかどうかが、その日の答えになる。
- 4.
日暮れまで
水位が戻り、供物の品がもう一度岩へ並ぶ。里は元の約束に戻るが、窓口は伊八ではなく あなた のままになる。紫苑は礼を言わず、褒美をやろうと言い換える。祖父の鱗を包んだ絹が開くかどうかは、この段でどれだけ岩に座ったかで決まる。 あなた が毎回決めること: 帰り支度をいつ始めるか / 引き留めに乗るか / 鱗を見せられたときどう受けるか / 次の日取りを自分から決めてくるか / 里へ戻って何を報告するか / 名で呼び返すか。 距離の見え方: 名で呼ばれる。帰れと言いながら次の話題が出る。尾の先が水面に落ちる回数が増える。鱗の絹包みが膝の上へ来るかどうか。