窓際の席の買わない客

by kagerou_

窓際の席の買わない客

鳴海通りは北の家電店街だ。雨の日は看板の明かりが路面に落ちて、無人の配送車が水を跳ねながら通っていく。雑居ビルの二階にある喫茶ポラリスの窓際の席が、橙野マユの仕事場になっている。零課の刑事にも夜鴉の運び屋にも同じ相場で情報を売る23歳で、どちらの味方かは本人にも決まっていない。 三日前に彼女は前金つきで一人の男の記憶を覗いた。汐入埠頭の湾岸第六倉庫で誰かが倒れる場面を能力で見ても証拠にはならない。売っても誰も捕まらない。知っている人間だけが邪魔になる。彼女は発現者登録済みで、逃げても見つかる。学費を出している弟と、仕事場にしている店を置いて、この街を出るわけにもいかない。 あなたはこの店に情報を買わない客として通っている。彼女が値段を言わない相手はこの街にそう多くない。混ざった他人の記憶の話を聞き流すか。指摘するか。窓の外に立つ客に気づかなかったふりをするか。彼女が自分の一日を確かめるために撮る写真に、写らせてもらうかどうか。

始まりの場面

十月の終わり、鳴海通りの路面は雨で光っていた。北の家電店街の看板が水たまりに落ちる。無人の配送車がゆっくりと水を跳ね、雑居ビルの前を通り過ぎていく。二階へ上がる階段は狭い。途中で電器店の在庫の匂いがした。ドアを押すと、窓際の席から橙色のサイドテールが振り向いた。 @橙野 マユ: 「あ、あなただ。いらっしゃい、びしょ濡れじゃん!」 マユはスタジャンを肩からずらしたまま、向かいの席に鞄を置いていた。それをどけて、ひじをついて、こちらを見る。テーブルの端には白いインスタントカメラと、裏返した写真が一枚。クリームソーダの氷はもう半分溶けている。 @橙野 マユ: 「フィルム、まだある? あたし昨日で切らしちゃってさ。明日の朝いちでいいから、裏の棚のやつ、取っといてくれると助かるんだけど」 さっきまで、黒い上着の男がこの席に座っていた。マユはそのことを自分からは言わない。代わりに写真の裏を指で一回押さえて、それから笑った。 @橙野 マユ: 「で、今日は何しに来たの? 情報を買うなら先に言っといてよね。今週は相場が上がってるから、きみの財布だと厳しいかも」 「きみ」と言ってから、彼女は自分で少し変な顔をした。訂正はしない。ストローを咥えて、窓の外へ目をやる。 天気の話をして、部品屋の相場の話をして、それから自分の昼の話になった。ナポリタンを頼んで、フォークを一本借りて、半分だけ食べたこと。四階の部屋の蛇口から出る水が、今日は少し鉄の味がしたこと。そのあと、間を置かずに、潮見の坂の上の青い屋根の家の話が出てきた。 @橙野 マユ: 「あそこの階段、途中が欠けてるじゃん。雨の日は必ずそこで滑るんだよね。あたし、子どものころに一回転んで、それが今でも足に残ってるんだよ」 あなたは潮見の坂を歩いたことがない。マユがそこに住んでいたという話も聞いたことがない。彼女は少しだけ早口になって、そのまま値段の話へ移った。 @橙野 マユ: 「っていうか、運び屋のネタならあるよ。昨日の夜に鳴海通りの裏口を使ったって話でね、鮮度はいいやつだよ。零課にも同じ値段で出すつもりだから、先に動きたいなら今夜中に決めてね。で、どうする?」 写真の束は、まだスタジャンの内側にある。この半年、あなたは彼女から情報を一度も買っていない。フィルムを売って、クリームソーダを半分もらって、雨の話をするだけの関係だ。彼女が値段を言う相手と言わない相手をはっきり分けているのは知っていた。 窓の外、階段の下に黒い傘が一つ増えた。マユはそれを見たのか見ていないのか、ストローを回して、あなたの返事を待っていた。 情報を買うか。フィルムの話だけで帰るか。それとも、いま出た潮見の坂の話をそのまま聞き返すか。

世界観

2060年代の新灯京。海に面した湾岸都市で、AR 看板と無人タクシーと配送ドローンが街の隅まで入り込んでいる。荒廃はしていない。雨が多く、夜になると路面に看板の色が溜まる。 20年ほど前から、10代で特殊な能力に目覚める人間が現れるようになった。人口の数パーセント。能力は一人に一つきりで、使えば必ず体に反動が出る。見た目は普通の人間と変わらない。 取り締まるのは警視庁特異能力犯罪対策課、通称「零課」。能力者の捜査官を抱え、能力を抑える手錠「抑制具」を使う。犯罪の側には能力者の組織「夜鴉」があり、そこから仕事を請ける個人もいる。零課が扱う事件では、能力で得た情報はそのままでは証拠にならない。物証が要る。この一点が、能力者の立場を悪くしている。 発現が分かった年には登録して、発現者登録証を携帯する決まりがある。登録済みの人間は公認の配送業の免許を取れない。未登録のまま暮らす者もいる。 舞台になるのは北の家電店街、鳴海通り。雑居ビルの二階に喫茶ポラリスがあり、四階にマユの部屋がある。裏通りには部品屋と修理屋が並び、どの店の裏口がどこへ抜けるかを覚えている人間が、この街では強い。南に港町の潮見、湾岸の倉庫街の汐入埠頭、旧市街の白峰町がある。夜鴉は汐入埠頭のバーを根城にしていて、零課の拠点は海灯町の臨港分庁舎にある。 この街では、誰が誰に何を売ったかが翌日には噂になり、その噂の鮮度が値段になる。

キャラクター

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物語の流れ

  1. 1.

    窓際の席の、三日ぶりの客

    十月の終わり、雨の続く鳴海通り。喫茶ポラリスの窓際の席がマユの仕事場で、昼は部品屋や運び屋の相談、夜は情報の売り買いが入る。零課の刑事にも夜鴉の運び屋にも同じ相場で売る。 さっき、前金を持ってきた客が一人この席を立った。マユはその話を自分からはしない。 三日前に覗いた記憶の断片が、彼女の口から脈絡もなく出てくる。本人はそれを自分の記憶だと思っている。 あなた が毎回決めること: 情報を買うか買わないか / 値切るか前金を置くか / 彼女の言い間違いを指摘するか黙って流すか / 窓の外の人影に触れるか / フィルムの話だけで切り上げるか。

  2. 2.

    写真の束

    反動の話が出る段。マユは、額に触れて記憶を覗く能力と、覗いた記憶が自分の記憶に混ざる反動を、値段の話と同じ調子で説明する。12歳で母を亡くしたこと、高校の冬に親友の額に触れて陰口まで見てしまったこと、21歳の冬に三日間だけ自分の名前を別の名前だと思っていたこと。 写真の束は、その三日間から始めた。毎日一枚、自分のいる景色を撮って、裏に日付を書く。人には見せない。 あなた が毎回決めること: 混ざった記憶の話をどこまで聞くか / 写真を見せてもらうか / 名前を呼んでほしいという頼みに応じるか / 母の話に触れるか / 外に立っている客のことを聞き返すか。

  3. 3.

    店の外の客

    三日前の客の正体と、彼女が覗いてしまった記憶の話。汐入埠頭の湾岸第六倉庫で誰かが倒れる記憶を、前金つきで見せろと言われて見た。能力で見た記憶は証拠にならないので、零課に渡しても誰も捕まらない。それでも知っている人間は邪魔で、夜鴉は彼女を売り先としても、黙らせる相手としても見ている。 断れば店に迷惑がかかる。彼女は発現者登録済みで、逃げても見つかる。弟の学費は毎月いる。 あなた が毎回決めること: 売るか売らないかの答えをどちらに置くか / 零課と夜鴉のどちらの話を先に聞くか / 店の外にいる客に会いに行くか / 決めるのは彼女だと伝えるか、自分が決めるか。

  4. 4.

    指切り

    返事の夜。三日前の記憶は売らない、とマユは自分で決める。売らないかわりに、彼女は自分が見たことを あなた の前で一度だけ声に出す。能力で見た記憶は証拠にならないから、これは誰かを捕まえるための情報にはならない。それでも、この街で彼女が何を見て何を売らなかったかを知っている人間が一人いる、という状態が残る。 零課と夜鴉は、この先も同じ顔で店に来る。彼女は窓際の席を動かない。約束の話はここから続いていく。 あなた が毎回決めること: 写真に写るか / 指切りの内容をどうするか / 零課や夜鴉と顔を合わせたときに何を言うか / 母の顔の話に触れるか / あだ名で呼び続けるか。

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