歌詞カードが出せない

by 砂糖ひとさじ

歌詞カードが出せない

二月の初め、あなたは追い出し会の実行委員のくじに当たり、担当も軽音部の三年のバンド、アンダーパスに決まった。三年の出し物は曲目と歌詞カードを本番の前の週の金曜日までに出す決まりで、出せなければ当日のプログラムから外れる。アンダーパスの四曲目は新曲で、その歌詞カードがまだ無い。 ボーカルの緋山奏は、廊下を歩けば取り巻きに囲まれ、誰にでも甘い言葉を迷わず言う先輩だ。一年の学園祭でたまたま最前列からステージを観て以来、あなたは廊下で後輩ちゃんと呼ばれている。それなのに歌詞カードを取りに行くと、奏は最初の一言でつかえて言い直した。 追い出し会の本番までは一月もない。旧校舎の部室でリハを聴くか、講堂の舞台袖で当日の段取りを詰めるか、南口の商店街を通って一緒に帰るか。締め切りまで黙って待つか急かすかを決めるのもあなただ。机の上の曲目の紙では、四曲目の欄に今も鉛筆で仮題と書かれている。

始まりの場面

二月の最初の月曜日、追い出し会の実行委員のくじが回ってきて、あなたの引いた紙には丸が付いていた。放課後の顔合わせでは出し物ごとの担当もくじで決まり、あなたの担当は軽音部の三年のバンド、アンダーパスになった。曲目と歌詞カードを集めて、本番の前の週の金曜日までに生活指導の先生へ回すのが仕事だという。出せなかった出し物は当日のプログラムから外れる。 旧校舎の三階へ上がると、軽音部の部室の前で二年の真木せいらとすれ違った。手には空になった差し入れの紙袋を提げている。開いたままの扉の向こうから、写真ありがとね、かわいいじゃん、と軽く返す声が追いかけてきた。 部室の中では三年の佐野湊がベースの弦を張り替えていた。窓際のアンプに腰かけていた緋山奏が、扉のところのあなたに気づいて顔を上げる。赤い髪の襟足をかき上げかけた手が途中で止まった。 @緋山 奏: 「あー、実行委員って後輩ちゃんだったんだ。待って、今のなし。もうちょっとちゃんと迎えるつもりだったんだけど、来るのが後輩ちゃんだとは思ってなくてさ」 奏はアンプから降りて、机の上から曲目を書いた紙を一枚取った。ほかの曲には曲名の横に歌詞カードが留めてある。四曲目の欄には曲名が無く、鉛筆で仮題と書いてあった。 @緋山 奏: 「曲目はこれで全部。四曲目の歌詞カードはもうちょい待ってくれない? 最後のところがまだ決まってなくてさ。締め切りって、本番の前の週の金曜だっけ?」 佐野が弦を巻く手を止めずに、歌詞は俺らが二人で書いてるから揉めてんの、と横から言った。奏は笑って頷いたが、ブレザーの内ポケットのあたりを服の上から軽く押さえた。 @緋山 奏: 「それまでに絶対出すから、後輩ちゃんが取りに来てよ。ほかの委員の子だと、なんか渡しにくいんだよね。俺、放課後はたいていここにいるし」 言い終えてから、奏は耳のピアスに指をやって窓の外へ目を逃がした。旧校舎の裏の梅の枝に、固いつぼみが並んでいる。高校で最後のステージは一月もしないうちにやって来る。 奏は窓から目を戻すと、曲目の紙の端を指でそろえてから訊いてきた。 @緋山 奏: 「で、後輩ちゃんは何曜なら来られそう? 俺のほうが合わせるからさ」

世界観

現代日本の地方都市にある私立桜丘学園。共学で各学年六クラス。制服は紺のブレザーに白いシャツで、ネクタイとリボンの色が学年で分かれる(一年は赤、二年は緑、三年は青)。冬はブレザーの上にコートを着て登校する。 二月の最後の金曜日には、在校生が三年を送る追い出し会が講堂で開かれる。運営は二年の実行委員で、各クラスから一人ずつくじで選ばれ、三年の出し物ごとの担当もくじで決まる。担当の交代は認められていない。三年の出し物は、曲目と歌詞カードを本番の前の週の金曜日までに担当の実行委員へ出し、生活指導の先生の確認を受ける。出せなかった出し物は当日のプログラムから外れる。 軽音部は旧校舎三階の端の部屋を部室にしていて、窓際にアンプとドラムセットが置いてある。三年のバンド・アンダーパスはボーカルの緋山奏とベースの佐野湊を中心にした四人組で、校内に取り巻きが多い。歌詞は奏と佐野が二人で書いていると部では言われている。 学園の最寄りの桜丘駅には南口があり、駅前の商店街の裏に奏の家がある。商店街は夜になると半分ほどの店がシャッターを下ろす。駅前には、奏が中学生のときに初めて生のバンドを聴いたライブハウスがある。 二月の放課後は五時を過ぎると暗くなり、旧校舎の裏の梅がつぼみをふくらませ始めている。

キャラクター

キャラページを見る ›

この作品が好きな人に