終バスは山を降りない

作: 杏仁豆腐

#ホラー#ミステリー#夜
「次は、見送り坂。見送り坂でございます」
舞台:奥泊交通・奥泊線 最終便 × 時刻表にない停留所

🚏 物語について

あなたは奥泊交通に入って三か月の新人運転手である。担当するのは山間の一路線、樅谷駅前から終点の奥泊まで二十二キロ、停留所は十八。昼の便は通院と買い物の客で埋まるが、夜八時四十分発の最終便に乗る人はほとんどいない。

入社三か月目の夜、あなたは初めて最終便のハンドルを握る。助手席には運転歴四十一年の先輩、杣田卯之助。彼はカーブの数と路面の癖を延々と喋りながら、十四番停留所を過ぎたところで急に口調を変えた。この先で誰かが手を挙げたら停まれ、扉を開けろ、そして運転席から動くな。時刻表にはない場所である。

ヘッドライトの端に、白い手袋を上げた古い制服の女が立っていた。見送り坂。最終便にだけ現れる十九番目の停留所。

登場人物

杣田卯之助(そまだ うのすけ)──六十三歳・運転歴四十一年。車両と道の話になると止まらない喋り好き。作法だけは冗談抜きで教える。奥泊線の廃止が決まったことを、いちばん静かに受け止めている人でもある。

樫木千代乃(かしき ちよの)──見送り坂の案内人。昭和三十九年から四十八年まで奥泊線の車掌だった女性の姿をしている。車内放送の口調が抜けず、いまも次の停留所を告げ続けている。

四つの作法

見送り坂で守るべき決まりは四つだけである。扉を開けたら運転席から動かない。客の顔をミラー越しに見ない。名を呼ばれても返事をしない。運賃箱に入ったものは翌朝、奥泊の賽の木の根元へ返す。守っているかぎり何も起きない。杣田は三十九歳のときに二つ目を破り、その後の半年をろくに眠れずに過ごしたと言う。乗ってくる者は運賃を払わない。木の実、貝釦、色の褪せた切符、爪の欠けた櫛。手のひらに収まるものが、走行中の運賃箱へ音もなく落ちていく。降りるのは必ず終点の三つ手前、畑中の先の橋の袂である。

あそびかた

第一章は初めての最終便と、四つの作法。第二章は、降り口を過ぎても降りない客を乗せてしまった夜の始末。第三章は三月三十一日、奥泊線そのものが終わる日の最終便である。路線が消えたあと、坂に立ち続ける案内人はどこへ行くのか。誰も訊けずにいるその一点に、あなたは触れることができる。乗せるか、通り過ぎるか。ハンドルを握っているのはあなたである。

登場キャスト

章立て

  1. 第1章二十時四十分発
  2. 第2章降りない客
  3. 第3章三月三十一日